私は「国語」が何をしているものなのかわからないまま大学を卒業しましたが、大人になってから「何をしているのか」「なぜできないのか」がわかりました。
①普段の会話では「国語」は7%しか使っていない。
会話というと”言葉のキャッチボール”というイメージがあるかもしれませんが、実は私達は言葉以外の情報もコミュニケーションに使っています。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の心理学者アルバート・メラビアンの研究では、表情や視線や見た目や仕草などの「視覚情報」、声の大きさやスピードや高低やトーンなどの「聴覚情報」、会話そのものの内容である「言語情報」の比率は55%:38%:7%。普段の会話では93%は「国語以外」を使っている、ということになります。
②普段の会話では「アレ」「あー、アレね」で通じる。
普段の会話では、お互いに相手のことを知っている、共通の体験がある、会話する状況から内容を推測できる ことが多いので「アレ」で通じます。しかし「国語」では、知らない人の、自分が体験したことのないテーマに関する、予測のつかない文章を読むことになります。
③わざと「わかりにくい文章」を選んでいる。
誰が読んでもわかる「わかりやすい文章」は、教える必要がないので「国語」の授業では出てきません。直感的に理解できないけれども「テクニック」を使うと理解できる、という文章が国語の教科書や授業やテストには使われています。
上記①~③の違いがあることを知らずに「国語」の授業を受けると何をしているのかがわからず「日本語は喋れるけど国語はできない」ということになりがちです。
「国語」は「初めて読む文章を理解する」ためのトレーニング。
世の中にはマニュアルや契約書や法律など難解な文章がたくさんあります。そういう「初めて読むなじみのない文章」を読んで理解するための教科が「国語」。小学校1年で習う簡単な文章から始まり中学・高校と徐々に難易度が上がっていくようにカリキュラムは作られています。
しかしながら、国語の授業ではテクニックは教えてくれず「文章を読んで、どのように感じたのか」を答えるように求められることがあります。テクニックがなければ文章を理解できないので「わかりません」という感想しか出てこないのですが、「国語のテクニック」を無意識に使えている先生からすると「そんなはずはない」となってミスコミュニケーションが生じる、という悲劇が起こりがちです。
「どう感じたか」と聞かれることで致命的な”勘違い”をする人もいる。
国語のテストに関しては、授業中に生まれるもう一つの”誤解”も根本的な問題になる可能性があります。次回は私がしていた致命的な勘違いを紹介します。
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