なぜ京都大学には変人が多いのか。

東大/京大

 東京大学と双璧をなす名門大学でありながら、関西では「変人の巣窟」として有名な京都大学。「折田先生像」「卒業式」「犬文字焼き事件」等、ネットで調べると変人エピソードはたくさんでてきます。なぜそうなるのかについて、考察してみました。

自由の学風。

 京都大学は基本理念として「自由の学風」を謳っており、「こうあるべき」というような不文律もありません。独立行政法人化や世相を反映してだんだんと自由度はなくなってきていますが、余所と比べるとまだまだ段違いに自由な空間が残っています。

自由時間が多い。

 独立行政法人化や世相や経済状態を反映して「4年間、何もしなくても卒業できる」という夢のような大学ではなくなってきていますが、それでも余所と比べると自由時間もまだまだ多いです。

”普通”を演じる必要がない。

 同調圧力がない(普通であることを求められない)というのも大きいです。自由すぎて”人生の迷子”になる人もいるという課題もありますが、何も演じる必要がない良い空間だと私は思います。

 上記3つの理由より、
「人はみな変人だけど、普段はそれを隠している」 
「京都大学では、変人であることを隠す必要がない」
「だから京都大学には変人が多い」
というのが私の結論です。

(※)奥様からは「”人はみな変人”というのは間違い」「京大生が変人なだけ」という指摘がありました。

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